付き合って6年のパートナーと、3年ぶりに会えた話
今日、付き合って6年のパートナーと、3年ぶりに対面で会うことができました。
3年間も会えなかった理由は、パートナーの海外駐在、そして大病です。
僕たちは交際期間中のほとんどを海外遠距離恋愛でつづけてきましたが、3年間も会えなかったのは今回が初めてです。この期間に僕が何を思い、生きてきたのかを振り返ってみたいと思います。
付き合って半年後、海外遠距離に
僕たちは同い年で、学生時代に付き合い始めました。
パートナーが新卒から海外で勤務することになり、付き合って半年後には日本と海外の遠距離恋愛に。その後はパートナーが仕事で一時帰国したり、僕が会いに行ったりと、半年に1回のペースで会っていました。
時差があるため、コミュニケーションにも制限があります。毎日1通メッセージ、週末にZoomで話す、という日々を過ごしていました。
普段はそれぞれの仕事やプライベートに全力投球。めまぐるしい日々を過ごしていましたが、週末の電話を終えると、すっと心が元の場所に戻るような感覚でした。
コロナ、そして大病
前回パートナーに対面で会ったのは、2019年の10月です。彼女の一時帰国のタイミングでした。その後、コロナ禍に入り、世界的に移動が制限されてしまいました。
同時に、パートナーは年次が上がるごとに大きな仕事を任され、日々ハードワークしているのがオンライン越しにも伝わってきました。
そんな矢先のある日、昨年末のことです。知らない番号から電話がかかってきました。電話はパートナーの同僚からでした。
「〇〇さん(パートナー)が勤務中に倒れて、病院にいる」
その後パートナーからも電話があり、検査の結果、とある大病と診断されたことを告げられました。多くの人が知っているような、命に関わる病気です。無理はありませんが、彼女自身もまだ状況を受け容れきれていない、そんな印象の語り口でした。
告げられた瞬間は僕も本当に現実世界で起こっているのかと、まるでドラマや映画を見ている感覚だったのを覚えています。
「自分を大切にすること」
パートナーから大病を告げられたのは平日日中でしたが、僕が最初に取った行動は「実家の母に電話する」でした。母も大病を患った経験があったため、咄嗟の判断でした。
母もかなり動揺しながらも、パートナーの気持ちや、僕が覚悟しておくべきことは何かを、経験者目線で語ってくれました。
「〇〇さん(パートナー)のためにも、まずは自分自身を大切にするようにね」
と伝えてくれたことは、大きな財産だったと思います。母に電話することで、「パートナーに何があってもすべて受け容れよう」と覚悟が決まりました。
パートナーはすぐに治療のため日本に帰国・入院しましたが、病状やコロナ禍もあり、面会することは許されませんでした。
治療が進むにつれて、あるタイミングからパートナーと連絡が取れない日々が数ヶ月が続きました。何も力になれない自分の無力さを感じつつも、母の言葉を思い出し、「パートナーに恥じないよう、自分は今を全力で生きよう」と自分に言い聞かすことで自分を保っていました。
そしてパートナーは長く苦しい治療を乗り越え、退院。今はご実家で療養を続けています。「来週、久しぶりに会おうか」と言ってくれたときは、「やっとこの日が来るのか」という安堵の気持ちと、付き合って間もないころにデートの約束をこぎつけたときのようなドキドキした感覚を抱きました。
取り戻したささいな「幸せ」
今日はパートナーの実家近くのカフェで待ち合わせしました。
前日の夜寝る前、家の出るまでの支度、お店に着いてパートナーを待っている時間、すべてが特別に感じる。久しぶりの感覚でした。
再会の瞬間は、僕たちらしくあっさりとしていて、周囲から見るとまるでつい最近も会った普通のカップルかのような感じだったと思います。お互いカフェラテを頼んで、入院生活のこと、退院後の生活のこと、先数ヶ月の予定のこと、いろんなことを話しました。
2時間話して、席を立って外を歩きました。今日は天気が良くて、しかもパートナーが隣にいる。それだけで、「ああ、幸せだな」と思いました。
パートナーという存在は、何気ない日常に彩りを加えてくれます。帰り道は僕の大好きな曲・Mr.Childrenの『彩り』を聴きながら帰りました。
(奇しくも、僕のパートナーの名前には「彩」という漢字が入っています)
なぜ関係がつづくのか
「なぜ何年も遠距離恋愛をつづけることができるのか」
よく質問をいただきます。
考えるほどに、「理由は〇〇です」とかんたんに言い切れないと思っています。
ドライではありますが、僕らの先天的な性格が、たまたま相性が良かったのもあると思います。
そもそもパートナーは、とてもGLIT(やり切る力が高い人)で、物事を一側面だけで評価・判断しない超絶フラットな性格なので、パートナーシップにおいてもその姿勢を貫いているのだと思います。
あえて言うならば、そんなパートナーを僕が強くリスペクトしているというのが長く関係性を続ける秘訣かもしれません。
もともと僕はとても短絡的かつ断定的な考え方で、なにかとじっくり向き合うことができない人間です。そんな自分に嫌気すら感じていました。現在大事に育てているパートナーシップも含めた「ゆっくりと、長く向き合うこと」の技術は、パートナーへの強いリスペクトから授かったといっても過言ではありません(まだ研鑽が必要ですが…)。
今のパートナーと付き合う以前の僕は、「相手とじっくり向き合えず、傷つけてしまうのではないか」とパートナーシップにおいても後ろ向きで、恋愛は何年もできていませんでした。
ただ、今のパートナーに対しては、数多のリスペクトできる点(や可愛い容姿)などから「この人のためなら、何があっても尽くしたい」という強い意志を持つことができました。だから告白することもできたし、その強い意志が今も続いているだけかと思います。
これも僕が意志を持ったというよりは、「パートナーが持たせてくれた」とも言えます。
距離から生まれる「ゆとり」
関係性がつづいている理由として、遠距離恋愛のデメリットとして挙げられそうな「すぐに会えない距離」や「リアルタイムのコミュニケーションが取りづらい時差」もプラスに作用していると考えています。
僕は心身ともにキャパシティが少なく、複数のことへ同時に向き合うことに困難を感じる人間です。
ただ、「距離」と「時差」があることで、パートナーとコミュニケーションを取る時間は制限される反面、その時間はパートナーのことだけに集中できます。週1のオンライン通話の時間もそうですし、パートナーの一時帰国の際も前もって業務や予定を調整することで、心と体力のゆとりを持ってパートナーと向き合うことができます。
普段はお互いの仕事やプライベートに全力投球し、限られた時間で、自分たちなりのペースで、パートナーシップを育む。僕のようなキャパシティが少ない人間には、距離や時差による会えない時間が生んだゆとりが、パートナーと向き合うことに良い影響を与えてくれていると思います。
パートナーシップというのは本来、相手への配慮やリスペクトだけでなく、自分自身を理解することなど、多くの集中やリソースを要するものだと思います。僕自身も今後ライフステージが変わるにつれて、距離によるゆとりという選択を取れなくなります。ただ、自分のパートナーという対象が存在する以上、パートナーシップは人生の最優先事項の1つとして君臨させ続け、そのためのゆとりを生み出したいと思います。なぜなら、それが自分の人生に彩りを与え、豊かにすると信じているから。
会えない時間も決して悪いものではない。会えなかった3年間を過ごして今、思うことです。
最後に、長きにわたる入院生活を乗り越えたパートナーに、心から敬意を払います。
また、彼女のことだけでなく、僕のことを気遣ってくださった友人や同僚、家族などのすべての方に感謝します。
まだまだ完全に安心できない状況です。彼女が無事に日常に戻ることができるまで、僕は彼女としっかりと向き合い、今できることを全うしたいと思います。
※追記※
2023/03/04に朝日新聞にて公開された取材記事に、このnoteの文章を引用いただきました。取材・執筆いただいた笹山大志記者、ありがとうございました。