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朝日新聞『白血病になった彼女と3年ぶりの再会』記事が公開されるまでの裏側

先月3/4(土)、朝日新聞にパートナーのサキちゃんと僕についての記事が公開されました。タイトルにあるとおり、テーマは「白血病になった彼女(サキちゃん)と彼(僕)の3年ぶりの再会」です。

僕たちの紹介をしますと、交際約7年で、サキちゃんの海外駐在をきっかけに約5年間ほど海外遠距離恋愛をしていました。駐在先でサキちゃんの白血病が見つかり、治療のために帰国。入院中は面会も許されず、コロナで帰国できなかった期間も含め退院後3年ぶりに再会を果たしました。

サイドA(サキちゃん目線)

サイドB(僕目線)

読んでいただいた方から「この記事はどんな経緯で生まれたのか」と質問をたくさんいただいたので、この記事が生まれたプロセスについて書いていきます。また、記事の裏側についても触れていきます。

※カバー写真は、サキちゃんと僕の近影です。7年前にサイドAのカバー写真を撮ってくれた、吉田航太くんが撮ってくれました


(いきなり余談)なぜこの記事を書こうと思ったか

僕はお笑いコンビ・かまいたちのファンです。かまいたちの濱家隆一さんと、小学生時代の恩師・久保先生のストーリーを描いた朝日新聞の「僕の好きな先生 ~かまいたち・濱家隆一のいた教室」は大好きな連載です。

記事を執筆した宮崎記者が記事の裏側を語るポッドキャストがとても心温まる内容で、何度も聴いています。

今回、偶然にも同じ朝日新聞に取材いただく機会に恵まれました。今回はポッドキャストではなくnoteですが、記事の裏側をセルフで語っていきたいと思いました。


きっかけは米国での出会い

今回記事を書いてくださったのは、朝日新聞の笹山記者です。笹山記者が記事の裏側をツイートしてくれていたので、以下よりツイートを引用しながらご紹介します。

今回の記事の発端は、笹山記者が「AYA世代* のがん患者のいま」というテーマでサキちゃんが取材を申し込んだことです。

笹山記者とサキちゃんは2017年時点で知り合っていました。サキちゃんはインターンシップ、笹山記者は旅行で同時期に米国・ワシントンDCに滞在しており、ゲストハウスで偶然出会い、Facebookで友だちになっていたそうです。

その後はFacebookでお互いの近況を知る程度でしたが、時を経て笹山記者がサキちゃんのFacebook投稿で白血病の治療を経て退院したことを知り、取材を申し込んだそうです。

* AYA世代とは、Adolescent and Young Adult(思春期・若年成人)の頭文字をとったもので、主に、思春期(15歳~)から30歳代までの世代を指しています。

https://ganjoho.jp/public/life_stage/aya/index.html

取材中、サキちゃんがパートナーである僕の話をしてくれたそうです。6年間日本とメキシコ(一時ブラジル)の海外遠距離恋愛をしていた話、コロナと白血病で丸3年間会えていなかった話など。

そこで笹山記者は当初の構想を転換し、サキちゃんと僕のストーリーを記事にすることを決めてくれました。

その後、サキちゃんの紹介で笹山記者から僕への取材機会も設定されました。


数回にわたる対面・電話取材

僕へのはじめての取材は、職場近くの喫茶店で行われました。

笹山記者は、今回の記事でも引用してくれている僕が書いた以下のnoteを読み込んでくれていました。

サキちゃんと出会ってからの約7年間について、根掘り葉掘り質問されました。その日は2.5時間ほど話したと思います。

初回の取材以降、別日にも2.5時間ほど話す機会がありました。そのほか、電話でも話しています。笹山記者は今回記事作成にあたり、僕だけでも5時間以上の取材をしてくれていることになります。とても光栄だという気持ちと、世の中の記事はこんなにしっかりと取材されるんだなあと感動の気持ちが湧いていました。

新聞社という特性上なのか、記事が公開されるまで内容をチェックすることはできませんでした。ただ、公開された記事を見て、誤っている点や拡大解釈されている点もなく、笹山記者のプロの仕事に同世代としてとてもリスペクトを感じました。


写真の力

ここからは記事で書かれていることについて、裏側を書きたいと思います。

1つ目は、サイドA・サイドBそれぞれのカバー写真にもなっている2人の写真についてです。

サイドAでは、カバー写真のポストカードがキーアイテムとなり、話が展開しています。

サイドAのポストカードの元写真

 彼はきっと知らない。
 6年前、彼からもらったポストカードが私の支えになっていることを。

(中略)

 6年前。初めてのデートは浅草の浅草寺に連れていってくれた。その時に2人で撮った写真をあしらったポストカードを私の家まで送ってくれた。
 そこには「思い出も、思い出の場所もこれから一緒にたくさん増やしていければいいな」とメッセージが添えられていた。
 会えなくてさみしいとき、闘病中でしんどいとき、そのカードを見るたび、勇気づけられた。離れていても、彼がずっと見守ってくれている、と。

https://www.asahi.com/articles/ASR313R48R2XUTIL00S.html

このポストカードがサキちゃんの支えになっていることは、僕は記事を読むまで全く知りませんでした。

このポストカードの写真を撮ってくれたのは、当時同じ浅草のシェアハウスで暮らした、友人の吉田航太くんです。この日は初デートの日で、シェアハウスのある浅草でデートしました。

航太くんに写真を撮ってもらう当初の目的は、実は「サキちゃんのポートレートを撮ること」でした。当時、サキちゃんのFacebookのプロフィール写真が後ろ姿の写真で、「これはもったいない」と思い、航太くんに無理を言ってお願いしました。当日、航太くんが「せっかくだから」と、2人の写真をたくさん撮ってくれました。

このとき撮ってくれた写真は、僕たちにとって初めての2ショットで、宝ものになりました。後日、航太くんがGoogle Driveで共有してくれた写真を見て、サキちゃんが「私はこの写真がいちばん好き」と言っていたので、ポストカードにしてメッセージを添えて渡しました。

思い出も、思い出の場所もこれから一緒にたくさん増やしていければいいな

僕はポストカードの裏側に、このようにメッセージを書いていたそうです。すっかり忘れてしまっていましたが、いまも変わらず、ずっとその気持ちです。

サイドBの写真は、友人のErika Hanoちゃんに撮ってもらいました。

サイドBの元写真

当時は付き合って数ヶ月経ち、もうすぐサキちゃんの海外駐在が始まるタイミングでした。「これから会えない時期が続くけど、お守りになるように」と、意識して写真を残しておこうと思い、共通の友人であるHanoちゃんに撮影を依頼しました。僕はHanoちゃんが撮ってくれた写真を印刷し、まさにお守りのように持ち歩いていました(サイドBのカバー写真も、印刷して持ち歩いている写真を笹山記者が撮影したものです)。間違いなく、僕にとって支えになっていました。

付き合ってから知ったのですが、サキちゃんはあまり写真に映るのが好きではないそうです(可愛いのにもったいないと思います)。ただ、心を許した友人が撮ってくれる写真では、いつもいい顔で笑っています。

海外遠距離恋愛が始まってからは、週1回のオンライン通話のときにスクリーンショットを撮っていました。撮ったスクリーンショットは、2人のLINEグループをつくり、アルバムに投稿していきました。毎週写真が溜まっていくのが、2人の宝ものが増えていく気がして嬉しかったです。

LINEのアルバムに投稿していた写真

闘病期間を含めると約6年間の遠距離恋愛だったので、遠距離恋愛でないカップルよりも、会えた数や行った場所は少ないと思います。
そんな中でも、大切な友人に写真を撮ってもらったり、オンラインでも毎回欠かさず写真を残してきたり、2人の作品を残してきて本当に良かったと思っています。

ポストカードがサキちゃんの支えであってくれたように、サキちゃんとの写真を眺めている時間は、僕にとって癒やしであり、自然とエネルギーが湧いてくるものでした。遠距離恋愛や闘病で会えないとき、写真の中のサキちゃんの笑顔を見て、「またこの笑顔を近くで見たい」と思っていました。

以下のInstagramの写真は、吉田航太くんと最近食事したときの写真です。実はサキちゃんの退院後、はじめての2人の写真です。これまでは退院後間もない姿で写真に映りたくないのではないかと、2人で写真を撮ろうと誘うのをためらっていました。でも、大切な友人である航太くんにカメラを向けられたとき、サキちゃんはいつもの優しい笑顔をしていました。

この写真も、今後も僕らを支え続ける宝ものになると思います。


命を取るか、子どもを持つか

2つ目は「サキちゃんが治療で妊娠ができない身体になった」ことについてです(詳細は控えますが、この点については医師がしっかりと治療前に説明をしてくれています)。

その事実をサキちゃんからはじめて電話で聞いたときから、まずは彼女の命が助かるのが最優先だと思いました。いま、彼女が退院して快復に向かっていることに心から喜びを感じます。

ただ、今後彼女と人生を歩むとして、子どもがいない人生はどんなものだろうと考えたことは何度もあります。

子育てというのは、僕だけの希望でいつまでに・何人欲しいなどと決められる話ではありませんが、「いつかパートナーとお互いの意向が合えば、子どもを授かるという選択肢もあるだろう」と考えていました。ある種、それが当たり前だと捉えていたとも思います。

周囲の同世代が既に子育てをしており、ここ数年は「自分が親だったらどうするか」と考える機会も何度もありました。愛する家族が増えることは、人生において最上位に尊いことだと、彼らを見て感じています。

また、自分の生まれ育った家庭環境で一部思うところがあり、学生時代にはNPO法人manmaが運営する「家族留学」という、子どもを持った家庭に1日留学する体験もしていました。

そうして自分なりの「子育て像」みたいなものを育みつつ、妊娠の選択肢がなくなったいま。もし将来的にサキちゃんと子どもを授かりたいと意見が一致したときは、特別養子縁組を考えています(このことはサキちゃんにも伝えていますが、当然具体的な話はまだしていません)。

というのも、僕の新卒入社した会社の社長・池田紀行さんは、46歳のときに特別養子縁組で男の子を授かっています。池田さんのSNSを通してお子さんとの暮らしを見ていますが、(きっと苦労もあるだろうと思いつつ)なんとも微笑ましく、幸せそうに僕の目には映っています。身近なところにロールモデルがいてくださって、本当に良かったと思っています。

僕がサキちゃんと(特別養子縁組で)子どもを持つ・持たないに関わらず、日本の子どもの未来に貢献し続けられるような人間でいたいと思っています。それが働く大人の使命だと思うからです。


これからも一緒に

AYA世代のがん患者は、進学や就職、結婚、出産と治療の時期が重なることで、特有の問題を抱えがちだそうです。そこで、医師、看護師、ソーシャルワーカーが専門のサポートチームをつくって支援している病院もあるそうです。

下記の笹山記者のツイートのように、サキちゃんもその当事者です。きっと僕も知らない悩みや葛藤もあると思います。僕はパートナーとして、その悩みや葛藤を一緒に向き合っていきたいと思っています。

僕自身も、サキちゃんの闘病が始まった当初は、周囲には心配かけまいと毅然とした態度を取っていましたが、「サキちゃんの命は助かるのか」「この先の人生、どうなってしまうのか」と、ふと心が苦しくなることもありました。

そんな中で、「無難な人生より、難ある人生だからこそがたい」という言葉に出会ったときは、まさにそのとおりだと心がフッと軽くなったことを覚えています。

以前noteにも書きましたが、僕らが約5年間続けてきた遠距離恋愛も、一見難に見えますが、確実に僕らの関係性を深めてくれるものでした。無理にポジティブに捉えているのではなく、自然に湧き上がってきた気持ちです。

今回のサキちゃんの闘病も、僕たちの関係性を次のステージに進めてくれるものでした。
病を乗り越え、人格的にもさらに成熟したサキちゃんに、いま、これまで以上のとてつもないリスペクトの感情が湧いています。

今後も自分たちが望む限り、2人の関係性を育んでいきたいと思います。



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